遠慮とは、遠くを慮る(おもんばかる)ことで、本来は「将来のことまでよく考える」という意味だそうです。
論語に「遠慮無ければ近憂あり」とありますが、
これは目先のことばかり考えていると近いうちに心配な事が起きるという意味だそうです。
江戸時代、遠慮は「先々のことをよく考え、すぐに行動しない」という意味から、
「態度を控えめにする」といった意味で使用されるようになったそうです。
私たちは学校教育の中で、「遠慮」より「自己主張」の方が良しとされてきたように思います。
「自分の主張は通すべき」「遠慮は日本人の悪しき習慣だ」といった教育を受け、
「遠慮するのは損だ」と考えるように導かれた気がします。
我先に自己主張を戦わせることも、自分の利益を確保することも大切でしょう。
自分の権利を主張し、相手の責任を問うことも時には大切でしょう。
しかし、「遠慮」という語源にまで思いをはせると、
私たちが捨ててはいけない大切な心がそこにあるように思います。
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