院長ブログ

ゆっくり急げ~Fastina lente~

早く着くためにゆっくり進む
2022.4.26

19世紀初頭の1911年11月イギリスのロバート・スコットとノルウェーのロワール・アムンセンとの間で人類初の南極点到達を目指すレースのことをご存じでしょうか?

両者はほぼ同じ日程でレースをスタートさせましたが、アムンセンのチームは勝利して帰還し、スコットのチームは競争に負け帰還もできませんでした。

ローランド・ハンフォード氏による南極点到達レースの本によると、2つのチームの様子はほぼ同じ日程で同じ条件で旅をしていたとは信じ難いほど異なっています。

スコットは天気が良い日にはチームが疲れ果てるまで前進を続け、悪天候の日にはテントにこもって、日記に不満を書き綴っていました。スコットは、ある日の日記には「我々の天候の不運ときたら、誠に不合理だ。先に旅立ったものはもっと天候に恵まれていたに違いなく苦々しく感じざる得ない」と書き、別の日には「このような天候で旅ができるものが、一体どこにいるというのか」と不運を嘆いています。

しかし、同じ天候でもアムンセンのチームは着実に進んでいました。ある悪天候の日、アムンセンは日記に「吹雪に凍傷、辛い1日だった。それでも13マイル、目標に近づいた。」と書いています。

1911年12月12日、アムンセンのチームは南極点まであと45マイルという地点まで到達しました。650マイルの道のりを経て南極点まであと一息というところまでやってきた日は、「天気は素晴らしく、穏やかで日差しもある。」と理想的な条件が揃っていました。一気に突き進めば1日で南極点に到達することも可能でしたが、実際に彼らが南極点に到達したのはその3日後でした。

なぜ南極点が目前に迫ってから3日もかかったのか? それはアムンセンが出発した時から毎日15マイルずつ前進することに決め、悪天候でも晴れてもゴールが目前でも15マイルを超えて進もうとはしなかったからです。スコットが悪天候の日に隊員を休ませて、天候の良い日には疲れ果てるまで前進したのとは対照的でした。アムンセンは北極点到達後に無事帰還するために十分な休息をとることにこだわり、南極点に到達するまで一定のペースを保ち続けたのです。

1911年12月14日アムンセンのチームは南極点到達して無事帰還を果たしました。一方スコットのチームは34日遅れで南極点到達しましたが、体力はとうに限界まで消耗し凍傷に侵されて、5人全員が凍死してしまいました。

南極点到達レースでアムンセンのチームが勝利した要因の一つは、一定の持続可能なペースを設定したことです。天候など避けられない不運を嘆いて不平不満をもらしていたスコットに比して、アムンゼンは実行可能なシンプルなルールを作り、悪条件や不運を受け入れながら一定のペースを守り前に進むべく最善を尽くしました。

2011年6月、私はクリニックのブログのタイトルを「festina lente(ゆっくり急げ)」とつけました。この言葉の語源はローマ帝国の基礎を築いたユリウス・カエサル(Gaius Julius Caesar=ジュリアス・シーザー)と言われています。

カエサルとアムンゼンは目標に向かう時の考え方が同じです。遥かな目標に向かうとき、持続可能なペースで毎日着実に進む方が早く確実に目標に到達できるという考え方は、病気の治療や健康の維持においても良い参考になると思います。

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